レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が発見されました。
ミラノのスフォルツァー城の天井と側壁に描かれた壁画だそうです。
私はこのことを知りませんでした。
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今朝の埼玉新聞です。
レオナルドがミラノに18年間住んでいたこと、最後の審判を描いたことは、有名ですが、
その時に、スフォルツァー城の壁画を描いたということは、いままで私が読んだ本には、出ていませんでした。
18年も居たのだから、最後の審判や何人かの肖像画を描いただけということはないだろうと思いましたが、
これは、いままで知られてなかったようです。
私は、この記事の見出しを見たとき、フィレンツェの市庁舎の500人広間のアンギアリの戦いを描いて失敗した絵のことだろうと
想像しました。その上にバザーリが絵を描いたと言われている部分です。バザーリの絵を剥がせば下にレオナルドの絵が出てくるのではないかと言われていますね。その存在がはっきりと確認されたという記事かと思ったのです。
しかし、これは、ミラノの話でした。
記事を読んでみると、やはりレオナルドらしく?未完成で、下絵が描かれているだけのようです。
だから、後の時代に、白壁に塗り直されて、絵は潰されていたということでした。
しかし、その存在が確認されたので、上に塗られた壁を剥がして、天井から四隅の壁まで描かれているレオナルドの下絵を見えるように
復元してみようとしているようです。
ミラノのスフォルツァー城の天井と側壁に描かれた壁画だそうです。
私はこのことを知りませんでした。

今朝の埼玉新聞です。
レオナルドがミラノに18年間住んでいたこと、最後の審判を描いたことは、有名ですが、
その時に、スフォルツァー城の壁画を描いたということは、いままで私が読んだ本には、出ていませんでした。
18年も居たのだから、最後の審判や何人かの肖像画を描いただけということはないだろうと思いましたが、
これは、いままで知られてなかったようです。
私は、この記事の見出しを見たとき、フィレンツェの市庁舎の500人広間のアンギアリの戦いを描いて失敗した絵のことだろうと
想像しました。その上にバザーリが絵を描いたと言われている部分です。バザーリの絵を剥がせば下にレオナルドの絵が出てくるのではないかと言われていますね。その存在がはっきりと確認されたという記事かと思ったのです。
しかし、これは、ミラノの話でした。
記事を読んでみると、やはりレオナルドらしく?未完成で、下絵が描かれているだけのようです。
だから、後の時代に、白壁に塗り直されて、絵は潰されていたということでした。
しかし、その存在が確認されたので、上に塗られた壁を剥がして、天井から四隅の壁まで描かれているレオナルドの下絵を見えるように
復元してみようとしているようです。