昨日、本庄西小学校へ展示して頂いた私の絵を
確認に行ってきましたが、そこでお手伝いしてくださった先生から
次のようなお話をいただきました。
「子供たちは、木は茶色でなくてもいいんだと感じるでしょうね。」
という言葉でした。
私のこの絵を見ると、
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木が緑で描いてありますから。
私にとっては、木が何色であっても、
自然に見えればそれで良いという感覚があります。
ーーーー
色の解放をしたフォービズムのことを思えば、何色でもいい。
ゴーギャンもセルジエに教えたのは、
「見える通りの色ではなく、自分で美しいと思う色を塗れ」
でした。
私のこの絵は、どちらかと言えば、印象派的です。
印象派も、影の色は黒じゃない
、影の中にはいろいろな色があると言って、
青も赤も緑もオレンジも使いました。
私の当たり前のようにやっている絵画技法も美術史的に見れば、
以上のような背景があります。
ーーーーーー
子供たちはどこで教えられたのでしょうか?
木の色は茶色だと。
現実の木の色は、子供たちが持っている
絵の具の茶色ではありませんね。
先生が仰っているのは、そういう意味で、
木は茶色でなくてもいいということを
この絵を見て知ることになる
ということでした。
確認に行ってきましたが、そこでお手伝いしてくださった先生から
次のようなお話をいただきました。
「子供たちは、木は茶色でなくてもいいんだと感じるでしょうね。」
という言葉でした。
私のこの絵を見ると、

木が緑で描いてありますから。
私にとっては、木が何色であっても、
自然に見えればそれで良いという感覚があります。
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色の解放をしたフォービズムのことを思えば、何色でもいい。
ゴーギャンもセルジエに教えたのは、
「見える通りの色ではなく、自分で美しいと思う色を塗れ」
でした。
私のこの絵は、どちらかと言えば、印象派的です。
印象派も、影の色は黒じゃない
、影の中にはいろいろな色があると言って、
青も赤も緑もオレンジも使いました。
私の当たり前のようにやっている絵画技法も美術史的に見れば、
以上のような背景があります。
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子供たちはどこで教えられたのでしょうか?
木の色は茶色だと。
現実の木の色は、子供たちが持っている
絵の具の茶色ではありませんね。
先生が仰っているのは、そういう意味で、
木は茶色でなくてもいいということを
この絵を見て知ることになる
ということでした。