嵐山のKさんが、50号二点目を描き進めてくれました。
手前が強くなりました。
![]()
この絵は、木漏れ日がメインなので、その印象が大切です。
それを説得力ある物にするためには、手前の表現がとても大切です。
私は、ここに点景として鳥か人間でも描き込みたくなります。
鳥なら近くに、人間なら遠くに入れます。
そのアドバイスはしていますが、入れるかどうかは、本人の判断です。
今の問題点
1、手前の細かい砂利が単調です。
繭玉か、おはぎか?というイメージです。
もっと平らな石、地面に埋まっている感じ、大きさの違いなどで工夫したいです。
2、右上の霞んだ部分が霞み過ぎです。
近づくに従って、はっきりさせたいです。
3、草の集団に当たった木漏れ日の大きさや配置のリズムが単調です。
日の当たった部分の大きさの違い、形の違い、配置のセンスが問われます。
その意味で、全てを見える通りにすると、リズム感がないとか、自然さを損なうものも
現実にはあるのです。そこは、画家のセンスが問われるところです。
手前が強くなりました。

この絵は、木漏れ日がメインなので、その印象が大切です。
それを説得力ある物にするためには、手前の表現がとても大切です。
私は、ここに点景として鳥か人間でも描き込みたくなります。
鳥なら近くに、人間なら遠くに入れます。
そのアドバイスはしていますが、入れるかどうかは、本人の判断です。
今の問題点
1、手前の細かい砂利が単調です。
繭玉か、おはぎか?というイメージです。
もっと平らな石、地面に埋まっている感じ、大きさの違いなどで工夫したいです。
2、右上の霞んだ部分が霞み過ぎです。
近づくに従って、はっきりさせたいです。
3、草の集団に当たった木漏れ日の大きさや配置のリズムが単調です。
日の当たった部分の大きさの違い、形の違い、配置のセンスが問われます。
その意味で、全てを見える通りにすると、リズム感がないとか、自然さを損なうものも
現実にはあるのです。そこは、画家のセンスが問われるところです。