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Channel: 絵画指導 菅野公夫のブログ
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日本の歴史、(明治維新と文明開化)

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今度は、漫画ではありません。



何人かの重要人物の伝記とその時代全般が書かれた本を読んだので、一通り大雑把に歴史が掴めました。
すると、こういう本も読みたくなります。
全般を掴むと、少し詳しく描かれた本が読みたくなり、その書かれている部分がどの辺の出来事なのかがわかります。
そういう位置づけが分かってから読むと、前後関係がわかっているので、とても把握しやすいです。

例えば、勝海舟と西郷隆盛が会ったのは、江戸の薩摩藩邸なのですね。
私は、江戸城で会ったのかと思っていました。

また、紹介されている絵は、勝が床の間を背にしていますね。
薩摩藩邸だと、西郷は勝を客人として、丁寧に扱ったことがわかりますね。
果たしてあの絵は、本当かどうか?他の本には、床の間を横に見る形で座っている物があります。
ただ、西郷は勝を丁寧に迎えたと解説に書いてありました。

なぜ、幕府の代表が勝海舟なのか?これは、他の幕臣が官軍と戦うべきだと主張したのに対して、勝だけが降伏という意見を言ったからだとわかりました。その勝の意見を取り入れて慶喜が決断したかららしいです。
また、官軍の大将がなぜ西郷なのか?これも4人いたそうですが、他二名が皇族で、後の一人が辞退したために西郷が実質の総大将になったようです。名目の総大将は、皇族の有栖川宮熾仁親王でした。

江戸城無血開城は、ぎりぎりのところで、決まったようです。総攻撃の一日前とのことです。

勝は、もしということを考えて、江戸の親分たちに、戦になったら江戸の町に火をつけてくれと頼んでいたそうです。
官軍を混乱させるためです。また、千葉の漁師たちに頼んで、船で町民を救ってくれとも言ってあったそうです。
江戸が火の海になると、貿易をしているイギリスにも大打撃なので、イギリスから西郷に圧力がかかっていたという話もあるそうです。また、それは勝の裏工作でもあったと。果たしてどうでしょうか。在りそうな気もします。

たった一つのことでも、ここまでは知りませんでした。
勝と西郷が会って、江戸城無血開城に決まったとしか、覚えていません。
教科書にも、そのくらいしか書いてないでしょう。

因みに、上野の彰義隊の戦いは、たった一日だけだったそうです。

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それにしても、大政奉還、版籍奉還、廃藩置県という流れは、大変なことでしたね。
よく、それができましたね。

明治政府は新しい国作りで、大変な議論をしたようです。
江戸の幕藩体制は、それを作り上げた江戸幕府もすごいですからね。
壊して、新しい物を作るということの苦労は並大抵ではなかったでしょう。
四民平等、廃刀令、散切り頭、五カ条の御誓文、明治憲法、郵便制度、電信、蒸気機関車
鹿鳴館、いろいろなものが新しくなりましたね。まさに文明開化です。




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