私をいじめたIくんが後悔を始めるのは、その後、段々と私の存在が変わって行くにつれてのことです。
まず、私が脚光を浴びるのは、美術の授業からでしょうか?
絵を描かせると、誰よりもうまいのです。
まだ、私は美術部ではありません。しかし、自分が一番だと思っていました。
実は、私はバスケットをしながら、美大に行こうかなと思っていたくらいです。
絵は、だれよりも自信があったのです。
ただ、本庄高校ですから、いろいろな中学から優秀な生徒が来るので、自分より絵がうまいやつがいるかもしれないとは、思っていました。しかし、授業をしてみたら、いないのです。
後で、同じように感じていた友達がいました。そうしたら、その友達にとっての私がそうだったらしく、
やっぱり、自分よりうまいやつがいたと思ったそうです。
しかし、私はいませんでした。
そして、周りの反応は、「へええ、菅野絵がうまいじゃん。勉強はだめでも絵はうまいんだな」でした。
私を馬鹿にしたIくんも、何をやっても自分より下だろうと見下していたつもりが、絵じゃ適わないと、まず一つ私を見上げた初めでした。
次に脚光を浴びるのは、私のバスケット部での活躍です。
試合に出て活躍したことを、宿命のライバルであるOくんとNくんが、クラスのみんなに話すのです。
それを聞いたIくんは、段々と私を認め始めます。
女の子たちも、OくんやNくんが、菅野はすごいと言っているので、そうなのかと思い始めます。
先日、美術部の卒業生と話していたら、その子の小学校一年生の時の担任の先生が、「菅野君はかっこよかったんだよ」と言っていたと聞きました。聞いてみると、その先生というのは、私の高校1年の時のクラスメートでした。
教員になって、その子を担任しましたが、その子が本庄第一の美術部に入ったことを知り、私がその顧問だということを知ったため、その子に、私の高校時代のことを話したということでした。
私は、クラスの女の子から、かっこよかったと思われていたことを初めて知りました。
私は、時間とともに、馬鹿なふりをすることに疲れました。
そして、そのうち、段々と本当の自分を出し始めます。
化学の時間でした。
先生が何かを質問した時、誰も答えられない時がありました。
そのとき、私が後ろの索引を調べていたら、「そうだな、まずわからなかったら、後ろの索引を見てみるのも、一つの方法だな」と
いち早くそうしている私を示して、そう言いました。
その時、先生は「菅野を見習え」という感じで言ったのでした。
そのときからでしょうか。私はできないふりをして、みんなを笑わせるのも面白いけれど、誰もできない問題ができるというのも面白いなと思ったのです。だから、数学の時間などは、その快感を味わう喜びを感じ始めました。みんなは「あれっ」と意外な感じがしたでしょう。
菅野は数学だけはできるんかなと。
二学期になると、私ができる生徒であることを先生方が認め始めます。先生方の私に対する態度が、できる生徒に対するものなのです。何かで、質問するとき、先生が「菅野いいか?」と尋ねます。私が「はい」と答えると、「じゃあ次に行こう」という具合です。みんなは、なんで菅野に尋ねるのだろうと思ったかもしれません。
先生にしてみると、クラスのリーダーの確認をしながら授業を進めるようなつもりだったのかもしれません。先に行っていいかなと。
最初は、私を見下していたIくんも、そのうち、実は勉強でも適わないんだと知って、態度が一変します。私に一目置き始めるのです。私は、クラスのみんなからも一目置かれる存在になっていきました。その証拠に、後期のクラス委員に選ばれたのです。
その後、私はIくんと大の仲良しになり、二年生でも同じクラスで、いろいろな意味で良い友達になるのです。
つづく
まず、私が脚光を浴びるのは、美術の授業からでしょうか?
絵を描かせると、誰よりもうまいのです。
まだ、私は美術部ではありません。しかし、自分が一番だと思っていました。
実は、私はバスケットをしながら、美大に行こうかなと思っていたくらいです。
絵は、だれよりも自信があったのです。
ただ、本庄高校ですから、いろいろな中学から優秀な生徒が来るので、自分より絵がうまいやつがいるかもしれないとは、思っていました。しかし、授業をしてみたら、いないのです。
後で、同じように感じていた友達がいました。そうしたら、その友達にとっての私がそうだったらしく、
やっぱり、自分よりうまいやつがいたと思ったそうです。
しかし、私はいませんでした。
そして、周りの反応は、「へええ、菅野絵がうまいじゃん。勉強はだめでも絵はうまいんだな」でした。
私を馬鹿にしたIくんも、何をやっても自分より下だろうと見下していたつもりが、絵じゃ適わないと、まず一つ私を見上げた初めでした。
次に脚光を浴びるのは、私のバスケット部での活躍です。
試合に出て活躍したことを、宿命のライバルであるOくんとNくんが、クラスのみんなに話すのです。
それを聞いたIくんは、段々と私を認め始めます。
女の子たちも、OくんやNくんが、菅野はすごいと言っているので、そうなのかと思い始めます。
先日、美術部の卒業生と話していたら、その子の小学校一年生の時の担任の先生が、「菅野君はかっこよかったんだよ」と言っていたと聞きました。聞いてみると、その先生というのは、私の高校1年の時のクラスメートでした。
教員になって、その子を担任しましたが、その子が本庄第一の美術部に入ったことを知り、私がその顧問だということを知ったため、その子に、私の高校時代のことを話したということでした。
私は、クラスの女の子から、かっこよかったと思われていたことを初めて知りました。
私は、時間とともに、馬鹿なふりをすることに疲れました。
そして、そのうち、段々と本当の自分を出し始めます。
化学の時間でした。
先生が何かを質問した時、誰も答えられない時がありました。
そのとき、私が後ろの索引を調べていたら、「そうだな、まずわからなかったら、後ろの索引を見てみるのも、一つの方法だな」と
いち早くそうしている私を示して、そう言いました。
その時、先生は「菅野を見習え」という感じで言ったのでした。
そのときからでしょうか。私はできないふりをして、みんなを笑わせるのも面白いけれど、誰もできない問題ができるというのも面白いなと思ったのです。だから、数学の時間などは、その快感を味わう喜びを感じ始めました。みんなは「あれっ」と意外な感じがしたでしょう。
菅野は数学だけはできるんかなと。
二学期になると、私ができる生徒であることを先生方が認め始めます。先生方の私に対する態度が、できる生徒に対するものなのです。何かで、質問するとき、先生が「菅野いいか?」と尋ねます。私が「はい」と答えると、「じゃあ次に行こう」という具合です。みんなは、なんで菅野に尋ねるのだろうと思ったかもしれません。
先生にしてみると、クラスのリーダーの確認をしながら授業を進めるようなつもりだったのかもしれません。先に行っていいかなと。
最初は、私を見下していたIくんも、そのうち、実は勉強でも適わないんだと知って、態度が一変します。私に一目置き始めるのです。私は、クラスのみんなからも一目置かれる存在になっていきました。その証拠に、後期のクラス委員に選ばれたのです。
その後、私はIくんと大の仲良しになり、二年生でも同じクラスで、いろいろな意味で良い友達になるのです。
つづく