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Channel: 絵画指導 菅野公夫のブログ
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覇者 続き

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武田信玄が小田原の北条氏を攻めたときの話が書いてありました。

私はこの辺りは、あまり読んだ記憶がありません。
上杉謙信が、10万の兵で小田原城を攻めましたが、落ちなかった。
それで、難攻不落の城として有名になったと書いてあります。
そういえば、後に秀吉も攻めて、落ちなかったのではないかなといううろ覚えですが、
そんな記憶があります。小田原評定という言葉がありますが、そのときでしょうか。

この武田信玄が、攻めたときは、2万の兵だったそうです。
このときも、とても落とせそうもなかったので、城の外へおびき出して叩こうとしたようですが、結局は失敗に終わったという話でした。
失敗と言っても、作戦は成功したのですが、最後の決め手になる部分の罠に北条氏がかからなかったということです。

武田信玄は、この時期、戦国時代で一番の力があったのではないかという気がします。
しかし、上洛するには遠すぎた。上杉がいるので、上洛したら留守を狙われるという話を読んだ記憶があります。
それでは、なぜ上洛しようと動き出せたのか、その辺りをしっかりつかみたいと思って読んでいます。

武田が動いたときには、上杉はどうだったのか?
今川、北条、徳川がいたのだから、留守をどう備えたのか?

徳川は、武田の上洛を許さないとばかりに、戦って敗れたということは以前読みました。
陣の形まで覚えています。エピソードは、家康が逃げる時、馬の上でもらしたことが有名です。
しかし、その時に上杉、北条は武田の留守を狙わなかったのでしょうか。

結果的には、上洛の途中で信玄が亡くなったために、上洛を諦めることになるわけですが、もし信玄がもっと長生きをしていたら、信長もどうなっていたかわかりませんね。

その辺のことをこれから読んで楽しみます。



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